あさぎり通信R-4 「ネムノキ」と「ハンゲショウ」

 センター正門の正面にネムノキが2本あります。1本はかなり大きなものですが、樹名のプレートが付いていません。県有財産ではないのかな?と副所長のゆうこうさんに尋ねると、「あれは自然に生えてきたものだよ」と教えてくれました。改築後に生えたものですから樹齢20数年、こんなに大きくなるものですね。
 ネムノキはマメ科落葉高木です。夜になると葉が合わさって閉じて(就眠運動という)、眠るように見えることから「眠りの木」、転じて「ネムノキ」と呼ばれるようになったとされています。漢字名は「合歓木」と表記します。これは、中国では男女が一緒に眠ることで、夫婦円満の象徴としてネムノキが親しまれていることが由来といわれています。
 ネムノキは初夏のころに花を咲かせます。ハケを広げたような形で、その先端がピンク色に染まったかわいらしい花です。マメ科の植物なので、実は豆のようなさやの中に入っています。冬になってもさやは開くことなく、全体が風に吹かれて遠くまで飛ばされるようになっています。そういえば、朝霧アリーナ北側駐車場の道路挟んで北側にも大きなネムノキがあるので、その実が風に飛ばされてセンター内にきても、何の不思議もありません。 そして、ネムノキは万葉の時代から歌人たちに愛されてきました。万葉集から二首紹介します。
 紀女郎(きのいらつめ)が、大伴家持(おおとものやかもち)に贈った歌です。

「昼は咲き、夜は恋ひ寝る、合歓木(ねぶ)の花、君のみ見めや、戯奴(わけ)さへに見よ」
(意味は、昼に咲いて、夜には恋しい想いを抱いて寝るという合歓(ねむ)の花を私だけに見させないで。ほら、君もここに来て見なさいな。)
 これに対し、大伴家持が紀女郎に贈った歌がこちらです。
「我妹子(わぎもこ)が、形見の合歓木(ねむ)は、花のみに、咲きてけだしく、実にならじかも」
(意味は、あなたの形見の合歓木(ねむ)の木は、花だけ咲いて、おそらくは実にならないかもしれません。)
 ネムノキは漢字名の由来通り恋の歌に適しているようです。

 さて、もう一つの話題である「ハンゲショウ」は、ドクダミ科の多年草で、本州より南の広い地域に分布しています。水辺や湿った土地を好み、地下茎を広げて増えていきます。
 ハンゲショウの開花期は7月前後です。名前は、暦の※半夏生の時期に花が咲くことに由来するといわれ、季節の節目を感じさせてくれる植物です。花は小さく目立たないのですが、開花と同時に上部の葉が白色に変わることが大きな特徴です。まるで、そこだけ絵の具で塗られたかのように、または漂白されたかのように白くなります。葉が白くなるのは、葉が葉緑素を作らなくなることで、緑色の色素が抜けてしまうからです。それは、花が小さいうえに花びらがないので、葉を白い大きな花びらのように見せかけて、受粉のための昆虫を呼ぶ効果があるといわれています。まるでお化粧をしているかのような白色なので、「半化粧」とも呼ばれています。そして花期のあとに、また葉緑素を作りはじめ葉は緑色に戻るので、すごい仕組みだと思います。

 このハンゲショウを4年前、野鳥の池の南側にあるミズナラの根元近くに5株植えました。それが今、20株ほどに増えています。
 世間で「ハンゲショウが色づきました。」という便りが、テレビや新聞で見られるようになる時期は、暦上の「半夏生」とぴったり一致します。そして、ちょうどそのころにネムノキの花が北山あたりで咲き始めました。通勤で国道139号を北上していくと、北山インターチェンジを過ぎた先に、道路両脇の所々にピンク色の花が見られます。北山、上井出、まかいの牧場、猪之頭と徐々に北上して、7月20日ころにセンターのネムノキも咲き始めました。それと同時に野鳥の池のハンゲショウも花をつけ、葉っぱも白く化粧しました。もう小暑も終わるころに「半夏生」はちょっと笑えますが、朝霧高原の気温の低さが、開花時期を遅くしているように思われます。その分、開花を楽しむ時間も長くなります。

 今回、ネムノキとハンゲショウを紹介しました。ネムノキは種が飛んできて、自然に生えてきた樹木であり、自然の営みそのものです。一方、ハンゲショウは人の手によって移植されたものが、その地に適応し繁殖しています。乱開発等で環境が悪化しなければ、植物自身が持つ生命力の高さは維持されるということです。また、人の手を加えれば、乱獲等で数を減らしている植物の保護・繁殖もできると考えられます。

※半夏生 暦上の「半夏生(はんげしょう)」とは、二十四節気の一つである夏至を、さらに三つに分けた初候・次候・末候のうちの末候にあたり、夏至から11日目ころになります。今年は7月2日(日)~6日(木)の間でした。