陸奥の旅

 日曜日の朝、電車に乗ろうとした時のことだった。駅のトイレの中から「キャー、助けてー!」という若い女性の声がした。私は女子高生がふざけて大声を出しているのだと思った。やれやれ、最近の女子高生には困ったものだ…と。
 ところが、その声の主が叫びながら、ホーム上を逃げるように走っていくのを目撃した瞬間に、これは事件だと感じた。私のまわりにいた人々もそう感じたようだった。あたりが騒然とし、駅員がその女性の後を追いかけて行く姿を見たときそれは事件であることが確信された。数分後には警察官までが登場し、駅のホームはさながらTVドラマのシーンのようでありながら非常に緊迫した雰囲気に満たされた。
経緯は分からないが、逃げていく女性を追って男性が走り、そのうしろに駅員と警察官がついていく。警察官が女性に追いつき「落ち着いて」と声をかけるが、そんなことで落ち着けるような状況でないことは誰の目にも明らかだった。警察官は何度もなんども「落ち着いて」と声をかけるのだが、それは女性に言っているようでもあり自分に言っているようでもあった。
ピンチが訪れた時、「落ち着いて」という言葉をかけたり、掛けてもらったりすることがあるが、その言葉で自分を取り戻すことが出来るかどうかはその人との信頼関係に大いに関係があるのではないかと、あの事件以来強く思うようになった。

目的と手段

キャンプ場またはキャンプに常備された様々な活動はキャンプを構成する重要なパーツである。従って、パーツの善し悪しでキャンプの成否が左右されることもある。
 このキャンプの活動というのは鍋料理の具材のようなもので、一年中手に入るものから、その土地ならではのもの、旬のものや乾物をもどしたものなど多士済々である。
キャンプという鍋料理を美味しく食べようとしたら、手当たり次第に具材を鍋に放り込めばいいというものではない。それなりに入れる順番はあるように思われる。 
 また、準備された料理をそのまま食べることは無難な方法であるが、キャンプに参加する子どもたちの経験や体調などによって、具材の量や入れ方を変えると一層味が引き立つ場合だってあるものだ。
 時には、計画した食材が手に入らない(雨が降る、日差しが強い、子どもたちが疲れている)ことだってある。その場合には手に入るもので間に合わせたり、その具材を入れないなどの判断をすることも必要になってくるだろう。
 キャンプは、例えば「不便さを経験しながら工夫する力を養う」などの目標を立て、その目標に近づくために行う一つの手段である。すなわち、キャンプをするということの背景には、こうなりたいという目標がある訳で、「カレーライス作りとキャンプファイアーをしたいから」キャンプをする訳ではない。
 なにはともあれ、活動によって組み立てられたキャンプは目標達成のための手段であって、キャンプをするということ自体が目的になってはならないということを肝に銘じておきたいものだ。

本当の価値(ねうち)

「森からの道」(内山節・新潮選書)という本にこんなことが書かれてあった。『ある村の村長さんが、自分の村にある樹齢何百年という森の木を一番高く売る方法を思案した。いい考えが浮かばないので、専門の先生に尋ねたら・・・先生は少し考え、計算器を取り出し慎重に計算をして、にっこり笑ってこう言った、「その木を全部表札にして売り出したら一番高く売れますよ」』と。                              
 これはとびっきりのアイロニーとエスプリの利いた、相当に高度な「小噺」と言える。銘木の表札なら高く売れるに違いない。しかし、数百年もの春秋に耐えて森の中で育ってきた木の生かし方ってそんなもの???と考えてしまう。 
家の大黒柱になってこれから何百年もの間、家を支えていく可能性を秘めた大木が、短く切り刻まれて磨かれ、表札になった方が良いのだろうか。
ものの価値を一つの尺度で測ることはシンプルで分かりやすいけれど、その弊害は様々な方向に発展する。
有名校へ入ることが受験生の価値を決めるとばかりに、受験技術だけを身に付けようとする受験生。利潤が企業の価値を決めるとばかりに、インサイダー取引だって厭わない経営者。
 こうした価値の評価がまかり通ると、どこかの映画の宣伝のように「総制作費○○億円!」などとやたら金をかければ素晴らしいとでも言いたげなコマーシャルがまかり通り、そんなにお金をかけたのだったら素晴らしいに違いないから見に行こうという観客がいるのも困ったものである。
 私たちの測る値うちは、金額とか人数とかだけではなく、本来の可能性をどれだけ引き出し、それを使い得たかということであると思いたい。
「森からの道」の話が良く出来た小噺だなと笑ってしまえばそれまでだが、何だかとても深刻に考え込んでしまったのだった。

先人の求めた心

 松尾芭蕉が門人の森川許六に送った「柴門の辞」に「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ」という言葉がある。その文に続いて「南山大師の筆の道にも見えたり」とあるので、その昔に南山大師(空海)が書道の修行の心構えとして用いた言葉を芭蕉も俳句の作家姿勢として使ったものと思われる。
 私流に訳してみると「先人の書や句の形ばかりを真似するのではなく、先人がどのような思いを込めてその書を書いたり、句を作ったのかということをしっかりと考えなさい」ということになるのだろうか。
 温故知新という言葉がある。これは「古きを尋ねて、新しきを知る」ということで「昔のやり方や考え方を調べて、今必要なものは何かを認識する」ということだ。
我々はとかく、今すぐに役立つ方法や、やり方、ノウハウを欲しがるものだ。しかし、そのやり方がどのような考えのもとに成り立っているのかを掴むことが出来たら、自分なりの方法を工夫することはそう難しいことではないと思う。
 野外で活動する時、どのようにしたら子どもたちを安全に楽しく導くことが出来るかという問いにも、ああするこうするではなくて、子どもたちというのは何が出来て何が出来ないのか、どんなことが怖くてどんなことが楽しいのかを理解すれば、自ずと活動の内容や時間、やり方の手順は分かってくるものだ。
 よく「形より心」と言うことばを耳にする。これは、外見の美しさより内面の充実の方が大切だと言っているのだが、少しだけ苦労して相手の気持ちや資質をつかめば、その人の望む方法を提供できるということにも通じているように思われる。

ストレスとつきあう

 最近のインターネットは、パソコンさえあれば何でも瞬時に知りたいことを教えてくれるという充実ぶりである。曰く、朝顔の種はいつ頃まいたら良いか、明日のニューヨークの天気はどうか、雰囲気がよくて美味しいイタリア料理屋はどこか、正しい犬小屋の作り方は・・・・様々なことがキーボードを叩くだけで、苦もなく入手出来る。これは考えるほどに恐ろしいことだと思う。

 朝顔の最適な播種時期を知りたいと思ったら、朝顔の種屋さんに聞くとか、図書館で朝顔について書かれた本を探すとか、はたまた町内の朝顔つくりの名人に聞くとか、何らかの手立てを尽くすことからその知的探求を始めるのがスジというものではないだろうか。
スジといえば、知らない人に教えを乞うときの「口のきき方」や名人といわれる人への「敬意の表し方」などという、やっかいな世の中のきまりごとを受け入れる態度というのも当然含まれているだろう。
 従って、スジを通すということは相当のストレスとお友達になるということでもある。
 名人に教えて貰えることにはなったが、自慢話が長引いて、なかなか本題に入ってくれないという場合だって往々にしてある。これには、ひたすら耐えるのが正しい弟子の態度というものだ。
 しかし、こうしたストレスと上手に付き合いつつ自分に必要な情報を集めることが出来れば、それはもう一生ものの知識や知恵になる。
 一方、キーボードを叩いて知りたい情報を探す時にはその種のストレスは一切ない。自分が欲しい情報が得られなかったらあっさりとリセットして、次のキーワードを入れれば良いというだけのことだ。
 ストレスをなるべく軽くして、自分の思い通りの成果をあげることが可能になりつつある昨今、「キャンプでの不自由な生活体験のどこが良いのか」と聞かれたら、「不自由だからこそ自由な発想での工夫が出来るところですよ」と答えることにしている。

自由と責任

 我が家では時々、犬を飼おうという話が持ち上がる。大きい秋田犬がいいとか家の中でも飼える小型犬がいいとか話は大いに沸騰する。そして、いったい誰がその犬を散歩に連れて行くのかというところにくると、話題に終止符が打たれる。したがって、朝早くから犬と一緒に歩いている人々を見ると思わず「偉いなー」と頭が下がる。ましてや、早朝の波打ち際を犬といっしょに駆けている人などに出くわすと、手をあわせて拝みたい気持ちにさえなる。かくて、渚は私にとって格別な場所となってしまった。
 先日、ある海のキャンプ場に行ったらそこでも渚は特別な場所だった。係の人から「浜辺に出る時には必ずライフジャケットを着用して下さい」と説明された。「泳ぐつもりがなくても、カヌーやヨットに乗るつもりがなくてもライフジャケットは必着です」と言われ、ちょっと違和感のある気持ちになった。
 犬を連れて浜辺を散歩する時は誰からも何も言われないのに、管理者の居るキャンプ場の浜に降りるときにはライフジャケットを着けていなければならないと言うルールにだ。ヨットやカヌーに乗って漕ぎ出すときのライフジャケット着用は当然だと思うけれど、渚で貝殻を拾う時も散歩をするときもライフジャケットは必着と言われると日頃の天邪鬼が顔を出す。いやいや、浜辺に出ると誰でもが水の中に入りたくなるものだから着用にしくはないなどと異論が続出しそうだが・・・・・・ 
 野外活動を行う上で常に付きまとうのが、安全確保の問題だ。いかに安全を確保し事に臨んだかということは管理者にとって大きな関心事である。それ故に、管理者は往々にして過剰と思えるほどの安全対策を施し、利用者がうんざりするほどの「ダメダメルール」で雁字搦めに縛ってしまうことは珍しくない。
 自分の行動に責任を持つということは? 自由と責任とは? それはどうやって学ぶことが出来るのだろうか。これは野外活動施設の考えなければならない大きなテーマである。

職人気質

 ある寿司屋の主人が「わたしらは修行してタタキあげた職人だから、ちゃんとした寿司しか握れないし、お客さんに本当に旨いものを食べて欲しいと思っている。今流行りのマヨネーズで和えたネタを使ったり、アボガドやバナナを巻いたのなんてとんでもないことだよ」と呟く。若いころから寿司屋に見習いに入り、厳しい修行時代を耐えてきちんとした寿司を握ることを身につけたおやじの嘆きだ。 
 磨き上げられた腕で洗練された手順で寿司を握る、この手で只管よいモノを握りたいと考えている職人は新しい寿司屋チェーンの外道のネタが許せないのだ。
 しかし、今時の人たちは上等の正しい寿司も食べたいけれど、寿司モドキもお気楽でいいじゃないかと考えているように思える。人々はある時は本物を志向するし、ある時はまがい物を楽しむものだ。まがいものしか食べない人たちが増えることは寂しいけれど、“もどき”や“らしき”を通過点として本物の良さが分かるようになるのならそれはそれで好いことだと思う。
 翻って、野外活動の分野で考えてみると、キャンプの職人を自認する指導者は結構多いと思われる。この職人たちの現代キャンプ観はどのようなものであろうか。キャンプはかくあるべきと云って、従来からのやり方を守り抜くタイプの人もいるだろうし、今の時代にあったやり方を求めてマヨネーズを和えてみたりアボガドを巻いてみたりする指導者もいるのかも知れない。
 美味しいものや楽しいものを提供したいという思いは変わらないのだけれど、○○はこうあらねばならないという思いを貫き通すために「近頃の客は口が肥えていなくて・・・」と嘆いたり、無理矢理オレ流を押し付けるより、「俺の寿司を食べたら、もう、もどきの寿司は食えなくなるよ」というくらいの職人になりたいものだ。

羽衣効果

 昨年まで、わがベイスターズの抑えの切り札であり、今シーズンからジャイアンツに移籍したクルーンという投手は速い球を投げることで有名である。
 先日、162㌔という速球を投げ、自身の持つ日本プロ野球での速球記録を更新してしまった。彼は野球選手としては並みの身長と体重の持ち主と言えるだろう。体が人一倍大きい訳でもないのに、早い球を投げられるのは天性のものなのだろうか。
 速球にこだわった投手といえば星飛馬もその一人だ。彼は速い大リーグボールを投げるために、日常は大リーグボール養成ギブスを体に装着して、身体を鍛えた話は有名である。(と言っても、これは劇画の中でのお話)
 どっちにしても、速い球を投げるためには並外れた天分や鍛錬が必要であろうことは理解できるが、彼らは球を投げるときに速球アンダーシャツを着たり、速球肩肘サポーターを装着している訳ではない。
 ところが最近、あるものを身に付けると速くなるという新製品が開発され、みんながそれを着たがるという珍事が起こっている。「泳ぐのは僕だ」と言いながら、高速スーツを装着して飛ぶ如くに泳ぐ。何たって装着した製品の品質が良いから、記録が出る。過去の記録を一気に2秒近くも縮めた人もいるというから神業に近いと唸ってしまった。泳ぐのは僕じゃなくてスーツじゃないと言ってみたいような気もしないではない。ちょっとズルイなという気がするのは私だけだろうか。
 日頃、重りを付けて足腰を鍛え、エベレストに挑戦し登頂に成功したおじいさんだっているというのに、試合のときに羽衣の衣を纏うなんて反則じゃない?いっそ古代オリンピックのように選手は全員全裸で競技をすることにしたら、などと思うのはヘソ曲がりのせいだろうか。

絶滅危惧種

 いつもは何気なく使っている言葉が、ある日通じなくなったら・・・
先日、年配の方から手書き原稿のワープロ打ちを頼まれた。打ち上がって間違いがないか、近くの若いスタッフに読み合わせを頼んだ。
 そのスタッフは読み合わせの作業を終えて、「この意味が分からないんですけど」と原稿を指さした。そこには「シャッポを脱いでしまった」と書いてあった。私は一瞬戸惑いのようなものを覚えたが、もしやと思い、他の若い人たちに「シャッポを脱ぐ」の意味を知っているか尋ねてみた。30歳後半の人たちは大凡その意味を知っていたが、使うことはないと言った。そして、30歳半ば以下の人たちは意味はおろか、その言葉さえ今日初めて耳にしたと言った。
 歌は世につれ、世は歌につれなどと言ように(こういう表現も使われないのかな)、言葉も時代につれて変わるものと承知はしていても、昨今の言葉の消長のスピードにはまったくシャッポを脱がざるを得ない。古きよき時代の言葉が失われていくのを惜しむようになったら、それは「老化の始まりかも知れないな」などと思いながら絶滅の危機に瀕している言葉を考えてみたりする。
 キャンプのプログラムでも同じようなことがあるが、こちらはむしろ永遠不滅種が蔓延っていることの方が問題かも知れない。

ティッシュ考

1トンの木から500kgのティッシュが出来るという話を聞いたことがあったので、一枚のティッシュはどの位の重さがあるのかと量ってみたことがある。おおよそ2枚で1gというのが相場のようだった。500kgは50万gなので、1トンの木からは約100万枚のティッシュが出来るという計算だ。
 駅前で配られるティッシュは10枚入りが普通なので、1トンの木からは10万個のポケットティッシュが出来るとういうことになる。私の利用する駅では、毎日のように様々な企業のティッシュが配られている。曰く英会話スクールであり、サラ金であり、交通安全キャンペーンであり、美容エステであり・・・・これらのティッシュを毎日1つずつ貰ったと仮定すると、1年で365個を消費する勘定になる。しかし、毎日貰うからと言って必ず使い切るということはないから、家の中の引き出しや籠の中に結構な数のティッシュが備蓄されている。
 先日来、朝霧野外活動センターでは、キャンプサイトの中のヒノキを180本ほど伐採した。切り倒された木の年輪を数えるといずれも樹齢50年前後であった。 
50年もののヒノキは平均して直径30cm、長さ10mくらいであった。円周率やなにかを駆使して計算すると、この木の重さは約280kgになる。従って、この木からは28万枚のティッシュが出来るという訳だ。
 28万枚のティッシュは2万8千個のポケットティッシュになり、駅頭で配られると、28000÷365=76.7という計算式から77人の人が毎日1個ずつのポケットティッシュを貰い続けると1年間で樹齢50年の木が消えていくという計算である。
この数字が何を物語るのかは議論の分かれるところでもあろうが、もし、13860人の人が毎日ポケットティッシュを貰い続けたら、朝霧の180本のヒノキは1年間でなくなってしまうことになるのだ。

ティッシュとレジ袋

 先日、電車に乗っているときのことだ。背後で人気がサッと散った気配を感じた。後ろを振り向くと、座席に座った若い娘さんが血の気の失せた顔をして口を押さえているところだった。席の下には吐瀉物があった。彼女は自分の足下の物を必死に何とかしようとしているのだが、気分が悪い上に拭くものもない様子だ。困り果てて右往左往しているというのが良く分かった。そして、隣に座っていた50代とおぼしき婦人が自分のバッグからティッシュペーパーを取り出して加勢をはじめたところだった。それにつられるように、近くにいた人たちがそれぞれティッシュペーパーを提供し始めた。中にはコンビニ等でくれるレジ袋を持っている人がいて、拭き取ったものはこの中に入れなさいよと渡したので、吐瀉物処理の速度は飛躍的に加速した。私もその仲間に入りたかったが、ティッシュペーパーというものを持つ習慣のない私は差し出すものがなかった。
私がティッシュペーパーを持たないことの説明は次の機会に譲る事にして、電車の中でのハプニングは数分で収まりが付き、娘さんは周りの人々にお礼を言って次の駅で降りていった。
 咄嗟のこととは言いながら、周囲の人々の対応は見事だった。とかく、現代人は冷淡であるとか、無関心であるとか言われるが、いざとなったら結構やるのである。
 ただ、こういう時にはみんなあまり声を発しないものなのだ。阿吽の呼吸というやつがその周辺の空気を支配する。無言のやり取りでモノは粛々と片付けられていった。
 傍観者然としてその場に立ちすくんでいた自分が情けなかったが、その日は何だか好い気分の一日だった。

豊かな自然に囲まれて

 朝霧に来て三つ目の季節を迎えた。真っ白な富士の麓でゆっくりと芽吹く生命の力を感じさせてくれた春。夏が来るまでの比較的滞空時間の短い春がここにはある。小振りだが楚々とした姿のピンクのフジザクラ、黄色の花をたくさんつけるヤマブキや遠くからでも鮮やかな紅紫色を見せるミツバツツジなどがこの6万5千坪の野外活動センターの中にしっかりと位置を占めている。もちろん、フキノトウや土筆、タラノメ、ゼンマイなどの山菜も豊富にあって、それらをちゃんと味わうことはスタッフの必修科目となっている。白い十文字のヤマボウシが咲き、木イチゴの実が紅く熟れると梅雨明けで、子どもたちの声が弾む夏がやってくる。  
 高原とは言っても、さすがに夏の日中は暑い。空気がサラッとしていいでしょうという人はまだまだ朝霧人とは言えない。結構蒸し暑い日だってあるのだ。風のない日中は海抜860mなんて何の役にも立たたないくらいに暑い。そして、朝霧高原名物の濃い霧もこの季節に出現するモンスターだ。従って、この季節に富士の姿を仰ぐことが出来るのは日ごろの行いの良い人に限られる。それでもカーッと晴れた空に入道雲を従えて立つ富士の姿を見ることが出来ると「雄渾」と言うのはこのようなことなのだと納得がいく。またこのシーズンは富士の姿は見えなくても、子どもたちの歓声と澄んだ瞳に出会うことの出来る素晴らしい季節でもある。
 秋は夏に覆いかぶさるようにやって来た。太宰治が「富士には月見草がよく似合う」と書いたのは三つ峠からの富士を見ながらであったらしいが、月見草が終わる頃から朝夕と日中の気温差が大きく感じられるようになった。ふと気づくと、フジアザミの花が大振りの花を重そうに咲かせている。目を上げると富士の山頂には、昨日までなかった雪化粧がうっすらと施されている。「春来たりなば夏遠からず」どころかもう冬の入り口まで来てしまったようだ。
 朝霧という恵まれた自然の環境の中で、四季を身体に感じながら、特に生まれた場所を一歩も動くことなく生涯を終わる植物たちを身近な存在として過ごす日々は、余りにも忙しく動き回る現代人としての生き方を問い直す時間でもあるようだ。これから迎えようとしている冬は何を運んで来てくれるのだろうか。待ち遠しいような不安なような昨今ではある。

あれから300年後

 「田舎に泊まろう」というTV番組がある。有名無名の人が地方の町や村を訪ね、見知らぬ人の家に「今晩泊めて下さい」といって、一宿一飯の恩義にあずかるというものだ。
すんなり泊めてもらえる場合もあり、何軒も何軒も断られてやっとの思いで泊めて貰える場合もあるという具合で、見ている方としてもそのハラハラドキドキぶりに一喜一憂するのである。
 そして、いろいろな苦労の末に、とりあえず出演者はみんな泊めてもらえるというのが、この番組の凄いところでもある。
 もし、我が家にそんな人が来たらどうするだろう-あれは、本人だけじゃなくカメラを撮す人や音声を録る人などがセットでくっついている訳だし、そのTV番組の存在も知っているので、興味本位で泊めてあげても良いかなと思ってみたりもする。
 しかし、ある日突然見知らぬ人が一人で訪ねてきて、「申し訳ないが、一晩泊めて下さい」と言ったら・・・こんな恐ろしいことはないと思う。

 ところが、江戸の俳人芭蕉と曽良のコンビは、「奥の細道」の旅の途中「雨が降り、日が暮れてきたので農家に一夜の宿を借りた」とか「宿を借りようとするが、誰も貸してくれない。それでも何とか貧しい家を借りて寝た」などと結構知らない人の家に泊めてもらっているのだ。そして、極めつけは「次の日もまた旅を続けるが、目的地までの道が不案内なので、草を刈っている農夫に道を聞いたら、『自分の馬を貸してあげるからそれに乗って行きなさい。道は馬が知っているから、目的地に着いたら馬だけ帰してくれたら良いから』と言って馬を貸してくれた」と言うのだ。
 今なら、「俺の車に乗っていきなよ、カーナビがついているから大丈夫さ、車は適当なところに止めておいてくれれば良いから」と言っているようなものだ。この困った人に対する親切心と無警戒さはどうだろう!単にお人好しの所業と言うには度が過ぎている。と平成の現代人は思ってしまう。
 しかし、同じ日本の話だ、恐るべきは江戸時代の元禄人である。但し、両者の間には300年ほどの時間の隔たりがあることも確かである。

野外技術?

 新横浜の駅を降りて6~7分歩いたところに「ラーメン博物館」がある。人並みにラーメン好きの私は何度も訪れている。但し、博物館と言っても学芸員はいない。日本の有名ラーメン店の中から選ばれた行列の出来るラーメン屋さんが出店していることで有名だ。そして、ここの博物館のもう一つの売りは館内が昭和30年代の雰囲気に統一されていることだ。夕暮れ時の下町という設定もなかなかに郷愁を誘うものがある。運がよければ30年代のお巡りさんや小ガキ生に会える。(但し、劇団員(らしき人)の扮する子どもだ)時々ベーゴマなどを実演していて、そのヘタクソ振りに団塊の世代の私などは思わず手を出しそうになるが理性でそれを抑える。(これが大人の分別というものだ)あの頃は・・・などと感慨にふけりながら、夕暮れ時の光景を思い出したりする。 

 あの頃は各家庭の屋根には必ず煙突がくっついていたものだ。夕方になるとご飯を炊く煙、風呂を沸かす煙がそれぞれの細長い筒の先っぽから立ち上っていた。我が家では風呂を沸かすのは子どもの仕事だった。薪を組み、その隙間に新聞紙を丸めてマッチで火をつける。これは子どもの日常的所作であった。しかし、時代が代わってマッチで火をつけることは非日常的体験となってしまった。現代ではこれを野外技術という。火を焚いてご飯を炊くことも同様である。
 生活が進化し新しいステージが広がり、そこで生きるために必要な技術が生み出され、使われなくなった技術は忘れ去られる。これは道理である。我が家からマッチという存在が消えて既に20年は経った。(そう言えば、マッチというアイドル歌手がTVから姿を消したのも20年くらい前だったかも-これは若い人には分かりにくいジョークだ)マッチで火を点けることは巧緻性の訓練になると言い、薪で飯を炊くことは地震などの災害時に生き抜く力と業を修得する云々という。何もそのことを否定する訳ではないが、せめてそれを習い、学ぶことが日常の私たちの生活の中でどのような意味を持つのかをしっかりと考えながら野外技術を身につけたいものである。

チムヂュラサ(美しい心)

 本屋さんで「沖縄オバァ烈伝番外編 オジィの逆襲」(双葉文庫)というタイトルの本が目にとまった。体調の良いときだとすぐにその前を通り過ぎてしまうものだが、その日は何だか吸い寄せられるように手に取ってレジに運んでしまった。
 内容は沖縄のオジィがいかにドジで、真っすぐで、心美しく、憎めない存在であるかが滔々と書かれており……面白い本であった。通勤電車の中で読むには、うたた寝するのと同じくらい十分に暇つぶし効果のある本であった。
 ただし、時々まどろんだ頭をハッシと打たれるような箇所に出くわしては目を覚まされる本でもあった。
 その中の一節……辺野古の「基地反対」派のオジィは言う『この海があったから、みんな貧乏でも暮らしていけた。海がなくなれば、辺野古のまごころはどこかにいってしまう』と。
 私は自然や環境のモンダイについては結構関心を持っている方だと思い込んでいたが、オジィのように生活の中で身体にしみ込んだ切実な体験を持っていないと言うことを強く考えさせられた。
 オジィが必要としているのは、ただ美しい自然環境ではなくて、美しい自然が育んでくれる人間関係のことを言っているに違いない。私はここで頭のてっぺんを金槌で殴られたような気がした。そして、目から火が出るような痛みを心に感じながら『辺野古はひとつの家族さあ。オジィの戦いは、辺野古の心を守ることだから』と言うオジィの言葉に、人はどんな所でも生きてゆくことが出来るだろうけれど、豊かな美しい自然の中で生きてゆくことを選択するに違いない。それは、美しい自然環境が良い人間関係を育んでくれるのだということを私たちが密かに知ってしまっているからだと思った。

喜ぶ人と共によろこぶ

 先日、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターの食堂で偶然佐々木正美先生に出会った。10年以上もお会いすることがなかったので、本当に懐かしく声をかけさせていただいた。先生は大学の医学部で教鞭をとっておられる精神科のお医者さんである。
 先生とは、私が以前YMCAのユースリーダーシップ開発委員会の担当者であった時に委員長と担当者という関係のおつき合いをさせていただいた。
 ユースリーダーシップ開発委員会というのは若いボランティアリーダーの活動を支援したり研修を企画する委員会である。先生は常に青少年世代の人々の活躍に大きな期待をかけておられ、ユースリーダーシップ開発の仕事に熱心に関わっていただいた。先生の面差しともの言いはいつも柔和でもの静かであるが、行動と思考は実にポジティブな方である。
 委員会の時には少し早めに来られて、みんなが集まるまでいろいろなおしゃべりを楽しむことが常であったが、先生は敬虔なクリスチャンでもあり、時折聖書の言葉についてお話をして下さることがあった。
 ある日、「聖書には、『喜ぶ者と共によろこび、悲しむ者と共に悲しみなさい』と書いてあるでしょう。しかし、悲しんでいる人と悲しみを共有することは割に出来やすいものだけれど、喜んでいる人と喜びを共にするというのはそんなに簡単に出来ることではないんですよ。」とおっしゃられた。私はおや、と思ったが先生は「人の喜ぶ理由に少しの嫉妬心も感じないで、心の底から共に喜ぶことが出来るというのは至難のことなんです。信頼と尊敬の気持ちがなければ喜びを共にすることは出来ないんです」と言われたことが頭の中に残った。
 久しぶりに佐々木先生と再開し、10年前と変わらないお元気な姿に触れ、あの時の言葉を思い出しながら、私たちは日頃から青少年と向き合いながら様々な活動を展開しているが、彼らに対して本当に尊敬と信頼の気持ちを表しているだろうかと反省させられた。